●こんなお話
会津藩士が京都の撮影所にタイムスリップして斬られ役俳優として生きていく話。
●感想
物語は、幕末の京都を舞台に、会津藩士である主人公が仇敵である長州藩士と一騎打ちをする場面から始まります。激しい戦いの最中、主人公は雷に打たれて意識を失い、目を覚ますと、そこはまったく異なる場所でした。見慣れぬ景色に戸惑いながら歩き出すと、彼は京都の撮影所に迷い込み、ちょうど時代劇の撮影が行われている真っ最中。異様な状況に困惑しているうちに、ホラー映画の現場にも遭遇し、驚きのあまり気絶してしまいます。
目を覚ますと病院のベッドの上。窓の外にはビルが立ち並び、文明の進化に衝撃を受ける主人公。病院を抜け出して街をさまよい歩き、「黒船来航から140年」というチラシを目にして、はじめて自分が未来の時代に来たことに気づきます。
その後、彼は眠ってしまった建物の前で、偶然通りかかったお寺の住職に保護され、お寺に身を寄せることに。住職は主人公のことを時代劇の役者だと勘違いし、彼を再び撮影所に紹介します。そこで助監督と再会し、流れで斬られ役の代役を務めることになります。主人公は実戦で鍛えた剣術を活かした見事な演技を披露し、撮影スタッフたちを驚かせます。
その後は剣友会に弟子入りし、現代社会で「斬られ役」としての新しい人生を歩み始めます。やがて、往年の時代劇スターが久々に撮影に復帰することになり、そのスターと顔を合わせた主人公は驚きます。なぜなら、その人物こそ、かつて戦った長州藩士であり、主人公よりもさらに前にタイムスリップしていた人物だったのです。
このスターは、実戦で人を斬った記憶が心の傷となり、それがきっかけで時代劇から離れていた過去を持っていました。一方の主人公は、会津藩が戊辰戦争後に辿った過酷な運命を知ったことから心が揺らぎ、演技に集中できなくなってスランプに陥ります。さらには、町で不良少年たちに絡まれてしまい、傷ついた心と身体を抱えるようになります。
そんな中、主人公は再びあの長州藩士と向き合い、「真剣で殺陣を行いたい」と申し出ます。監督と共演者はその覚悟を受け入れ、クライマックスでは真剣を使った迫真の立ち回りが撮影されます。撮影所のスタッフとキャストがその真に迫る演技に感動し、映画は完成。主人公はその後も斬られ役として生きていく道を選び、現代で新たな人生を歩み続けておしまい。
殺陣師や斬られ役という職業の魅力に焦点を当てた点は本作の見どころであり、迫力ある殺陣のシーンは面白かったです。テンポやスピード感のある演出は、近年の時代劇にありがちな緩慢さを払拭し、視覚的に楽しませてくれました。
一方で、コメディとしての演出やカルチャーギャップに関する描写は薄く、幕末の侍が現代日本に来たという設定のわりには、主人公があまりに自然に状況を受け入れている点には違和感を覚えました。また、現代の人々が主人公の身分や話し方を特に疑わず、スムーズに受け入れていく展開にはややご都合主義を感じざるを得ませんでした。
ギャグシーンも特にお寺周りのくだりはすべてきつくて、「落ちたり滑ったり言ったらいけないよ」と言っていたのにそれを言っちゃうとかの流れも「男はつらいよ」とかドリフのコントの劣化版のようで辛い時間でした。テレビで時代劇を見て主人公が感動するとおにぎりを食べて「磐梯山みたいに美しい」と感動するのかも時間だけ感じて全体的に冗長でした。やっぱり主人公の身分とか誰も気にしないのとかが終始頭によぎってしまってのりきれなかったです。
時代劇スターとの再会エピソードや、殺陣師に弟子入りするくだりのモンタージュもややテンポが悪く、クライマックスの真剣による殺陣も、感情が動かされることなく淡々と進んでしまい、映画の終盤にしては盛り上がりに欠ける印象が残りました。
作品全体を通して、時代劇というジャンルそのものが衰退している現状と重ねて「時代劇の終焉」を示唆するかのような物語構成でしたが、そのことがむしろ本作の冗長さと退屈さを強調してしまい、非常に哀しい気持ちにさせられる130分となってしまいました。
☆☆
鑑賞日:2024/10/05 イオンシネマ座間
監督 | 安田淳一 |
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脚本 | 安田淳一 |
出演 | 山口馬木也 |
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冨家ノリマサ | |
沙倉ゆうの | |
峰蘭太郎 | |
庄野崎謙 | |
紅萬子 | |
福田善晴 | |
井上肇 | |
安藤彰則 | |
田村ツトム |