●こんなお話
逃亡生活をしていくうちに生きる意欲がわいてくる人の話。
●感想
引きこもりの生活を送っていた主人公が、ある日、思いがけず美しい妹を手にかけてしまい、そのまま逃避行へと旅立つという衝撃の始まり。物語はこの事件から一気に動き出し、主人公が逃げる先々でさまざまな人々と出会い、徐々に心を開いていく過程が描かれていきます。冒頭ではほとんど表情がないように見える主人公が、旅を重ねることで次第に自我を獲得し、最後にはまったく違う人間のように生き生きとした顔になっている様子は、本作最大の見どころのひとつです。
主人公を演じた藤山直美さんの演技は、圧倒的な存在感に満ちていて、特に冒頭とラストシーンで見せる表情の変化には、思わず息を呑みました。同じ人物が演じているとは思えないほど、感情の振れ幅が大きく、それだけでも本作のテーマを強く感じさせてくれます。
逃亡の旅は、ただ悲惨なものではなく、意外にも人間のあたたかさに触れる機会が多く描かれています。逃げる途中で出会う人々との関わりの中で、恋を知り、友人ができ、自転車に乗ることを覚え、泳げるようになり、そして性的な経験も経て、主人公は少しずつ「人」として形を成していくのです。その変化を、観客は静かに、そして確かに受け取っていくことになります。
時にはコミカルに、時には衝撃的に展開される逃避行の中で、主人公がふと見せる人間らしさや、誰かに寄り添いたくなる気持ちが印象的でした。レイプという重い描写すら、作品の中では奇妙にバランスを取って描かれており、暴力の痛みよりもそこから何かを得ようとする主人公の姿が残ります。「とっとけ!」とお金を渡してしまう場面には、観ていて複雑な感情を抱きましたが、その戸惑いや混乱もまたリアルに感じられる演出でした。
共演者も実力派ぞろいで、藤山直美さんの存在感に加え、佐藤浩市さんの魅力も強く印象に残りました。ほかにも岸部一徳さん、豊川悦司さん、大楠道代さん、國村準さんなど、キャストの演技が本作の世界観をさらに豊かにしています。どの人物も物語の一瞬一瞬を確かなものにしていて、主人公との関わりがそれぞれの形で物語に深みを与えていました。
社会の片隅にいたひとりの人間が、さまざまな経験を経て感情を取り戻し、他人と関わることで少しずつ人間らしさを身に付けていく。その過程をコミカルに、しかし決して軽くはならずに描いている点が本作の魅力です。事件性の強いモチーフや、阪神大震災の描写も含まれている中で、それでもどこか笑える、不思議な空気をまとっている作品でもありました。
命を奪ってしまった過去を背負いながらも、それでも人は生きていけるということ。たとえ世間から追われる立場でも、生きることを諦めず、自分の道を歩もうとする主人公の姿には、強く心を動かされました。最後には「どうか逃げ切ってくれ」と思わず願ってしまう、そんな感情すら自然に湧き上がってくる、非常に印象深い一作でした。
☆☆☆☆☆
鑑賞日:2013/10/05 DVD
監督 | 阪本順治 |
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脚本 | 阪本順治 |
宇野イサム |
出演 | 藤山直美 |
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佐藤浩市 | |
豊川悦司 | |
大楠道代 | |
國村隼 | |
牧瀬里穂 | |
渡辺美佐子 | |
中村勘九郎 | |
岸部一徳 | |
内田春菊 |