●こんなお話
切腹するする詐欺に嫌気がさした裕福な大名屋敷のトラブルの話。
●感想
名門・井伊家の屋敷に、一人の浪人が姿を現す。名を津雲半四郎という。静かな足取りで玄関をくぐり抜け、彼は家老・斎藤勘解由に向かって「切腹を願う。庭先をお借りしたい」と申し出る。季節は移ろいの時。屋敷の空気にはどこか張り詰めた冷たさが漂っていた。
当時、世間には“狂言切腹”という風潮が蔓延していた。貧窮した浪人が大名屋敷を訪ね、切腹を願うふりをして同情や金銭を引き出す。名門の威厳を傷つけぬため、屋敷側は援助を与えることで穏便に済ませるという習慣が広がっていた。斎藤もまた、目の前の浪人がその類の者ではないかと疑う。だが半四郎は、あくまで礼を失せぬ態度で、自らの望みを淡々と告げる。
やがて斎藤の口から語られるのは、かつて屋敷を訪れた若い浪人・千々岩求女の話だった。求女は、貧しさのあまり真の刀を質に入れ、竹で作った模造刀を差していた。それを知らぬ屋敷の者たちは、狂言を働く不心得者として彼に本当の切腹を命じる。逃げることも許されず、求女は竹光で己の腹を突いた。
半四郎は静かにその話を聞き、やがて自らの口を開く。求女は自分の娘・美穂の夫であり、貧しくとも笑いの絶えぬ日々があった。生まれたばかりの赤子の泣き声に、小さな幸せを見出していた。しかし赤子が病に倒れ、医者に見せる金もない。求女は「金の当てがある」と言い残し、井伊家へと向かったのだ。
戻ってきたのは、命を絶った求女の亡骸だけだった。彼を失った美穂は絶望の果てに命を絶つ。半四郎は家族の無念を胸に、武士という名の“名誉”がいかに虚しいものかを知る。名を守るために命を奪い、誇りのために人を捨てる――その理(ことわり)に刃を向けるように、半四郎は竹光を手に取り、井伊家の屋敷で暴れる。
彼の怒りは復讐であり、同時に哀しみだった。多くの侍を相手に暴れ回るが、そこにあるのは激情よりも静かな覚悟。血の色が庭に広がる中で、彼は言葉を残さず散っていく。参勤交代から戻った主君に、家臣たちは「何事もございませんでした」と報告する。すべてがなかったことのようにでおしまい。
物語の始まりは、ひとりの浪人が井伊家に現れるところから静かに幕を開けます。最初はその目的も分からず、彼の冷静な言葉の裏に潜むものが何なのか、観る者は探るように見つめることになります。そこから明かされていく過去はあまりにも痛ましく、特に若い浪人・千々岩求女の切腹の場面は息を呑むほどでした。俳優の体全体で表現する苦悶や、竹光を突き立てる瞬間の息づかいは、芝居を超えて現実の苦痛を感じさせます。
そして、物語は半四郎の回想へと続きます。貧しいながらも家族で寄り添い、慎ましく生きる姿。その幸福があまりにも儚く、観る側の胸に痛みを残します。日常の小さな会話や、ささやかな食事の場面に、確かに存在した“生”が刻まれていました。それだけに、死の訪れが静かに積み重なっていく過程が心を締めつけます。
演出は終始抑制的で、感情を爆発させることはありません。俳優たちは沈黙の中で語り、目の動き、息づかい、指先の震えで感情を伝えていきます。その静けさがかえって重みとなり、画面に漂う空気は濃密でした。ただ、物語の展開は非常にゆっくりで、家族の悲劇に多くの時間が費やされているため、観る側の心にも疲労が残るような感覚を覚えます。
クライマックスの殺陣では、半四郎が竹光を振るう姿に哀しみが宿っていました。決して誇りのための戦いではなく、理不尽な武士道そのものへの抗議のようにも見えます。動きは控えめで、華やかな剣戟とは対極にある静かな殺陣。それがこの物語に似つかわしい終わり方であり、侍という存在の虚しさを浮かび上がらせていました。
映像は端正で、光と影のコントラストが美しく、四季の移ろいが心情の変化を静かに映し出していました。役者たちの所作も見事で、とくに市川海老蔵の鋭い眼差しには圧倒的な存在感がありました。声を荒げることなく、立っているだけで物語を支える力がある。そう感じさせる演技でした。
『一命』は、派手さよりも静けさの中にある真実を描いた作品だと思います。武士の誇りとは何か。名誉とは誰のためにあるのか。その問いが観終わったあとも胸の奥でじんわりと残るような、深い余韻のある映画でした。
☆☆☆
鑑賞日:2011/10/15 TOHOシネマズ南大沢 2012/04/24 Blu-ray 2025/11/12 U-NEXT
| 監督 | 三池崇史 |
|---|---|
| 脚本 | 山岸きくみ |
| 原作 | 滝口康彦 |
| 出演 | 市川海老蔵 |
|---|---|
| 瑛太 | |
| 満島ひかり | |
| 役所広司 | |
| 竹中直人 | |
| 青木崇高 | |
| 新井浩文 | |
| 波岡一喜 | |
| 笹野高史 | |
| 中村梅雀 |


