●こんなお話
瞬間移動の装置を開発した博士が自ら人体実験したらハエと融合してハエ人間になっていく話。
●感想
冒頭から一切の無駄がなく、パーティーか展覧会のような場面で主人公の科学者と女性記者が言葉を交わすことで物語が動き出します。その軽快な導入から一気に本筋へと入り込んでいくテンポ感の良さが、とても心地よく、最初の数分で観る者の集中力をしっかりとつかんで離しません。
女性記者を自宅へ招いた科学者の博士が、自宅に設置された転送装置の実演を行い、記者のストッキングをポットに入れて転送してみせるというシーンは、まさに“目の前で奇跡が起こる瞬間”のようで、記者の驚きも自然に伝わってきます。ただ、その時点ではまだ生き物の転送には成功しておらず、博士も慎重な姿勢を見せていました。記者は特ダネとして編集部に持ち込もうとするものの、編集長からは手品扱いされてしまい相手にされません。
そんな記者の動きを察知した博士が、チーズバーガーを口実にダイナーへと誘い、取材は許可するが発表は待ってほしいという条件を出します。このやりとりがまた自然で、2人の距離感が少しずつ近づいていく様子も丁寧に描かれていました。
その後、ヒヒを転送装置に入れる実験に挑戦するものの失敗し、ヒヒの体が裏返ってしまうという衝撃的な結果に、博士は深く落ち込みます。それでも諦めず、次の猿での実験には成功し、転送装置の精度が徐々に上がっていく様子は、SF映画としてのワクワク感をしっかりと演出していました。
やがて、博士が記者と編集長の関係を疑うようになり、嫉妬と酒の勢いで自ら転送装置に入ってしまう場面へと流れていきます。博士は気づかぬうちに装置内にいたハエとともに転送されてしまい、その後から徐々に身体と精神に異変が現れ始めることになります。
筋力が増し、食生活にも変化が起き、行動は大胆さを増し、性欲までもが過剰に高まる博士。コーヒーに大量の砂糖を入れるようになる描写はユーモラスであると同時に、明確な異常のサインとして効果的でした。恋人でもある記者を装置に入れようとするも拒まれて感情が爆発し、別れを告げた博士は、バーで出会った男性と腕相撲をして勝利し、その場で知り合った女性を今度は転送しようとしますが、それも記者の登場で阻止されます。
記者が博士の体毛を分析にかけた結果、人間のものではないという報告が届き、博士の身体はさらに変化を進め、爪が剥がれ落ち、歯が抜け落ちるという、視覚的にも衝撃的な描写が続きます。そして、転送装置の履歴を確認した博士が、自身と一緒にハエが転送されていたことを知る場面では、彼の驚きと後悔が画面越しにじわじわと伝わってきます。
自らの変化に恐怖しながらも、記者に助けを求める博士の姿はどこか人間的で、だからこそ観ている側の感情も揺さぶられるものがありました。自身の状態を「ガンのようなもの」と表現し、やがて訪れる終末を受け入れる姿勢もまた哀しみを感じさせます。
変異が進んだ博士は、天井を這い回ったり、酸性の体液で物を溶かしたりと、ますますハエとしての能力を高めていきます。そして、記者が博士の子を身ごもっていることが判明し、その未来に対する恐怖から悪夢を見るようになり、中絶を決意します。その事実を知った博士は、記者を連れ去ってしまいます。
クライマックスでは、編集長が銃を手に博士のもとへ向かうものの、彼もまたハエ化した博士に襲われてしまい、身体を溶かされてしまいます。そして、博士は自分・記者・そのお腹の子どもを融合させることで完璧な存在になれると信じ、記者を転送装置に入れてしまうという恐ろしい展開へ。意識を取り戻した編集長が転送装置を破壊し、転送された博士は人としての姿をほとんど失った状態で現れ、記者が涙ながらにその頭を撃ち抜いて物語が終わります。
たった90分の中に、科学の可能性と限界、人間の欲望と狂気、そして愛と恐怖が詰め込まれており、濃密な時間を体験させてくれる映画でした。SFとしての完成度も高く、恋愛ドラマの要素も自然に溶け込んでいたと思います。ハエ化するという設定を通じて、人間とは何か、生きるとはどういうことかを問いかけてくるようで、鑑賞後にはしばらく余韻が残りました。
また、作中では腸チフスのメアリーのような実在の感染者のエピソードにも軽く触れており、科学と歴史の知識が少しだけ増えるのも魅力の一つかもしれません。驚き、怖さ、感動、学びが詰まった、とても刺激的な一本でした。
☆☆☆☆
鑑賞日:2022/08/22 Disney+
監督 | デイヴィッド・クローネンバーグ |
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脚本 | チャールズ・エドワード・ポーグ |
デイヴィッド・クローネンバーグ | |
原作 | ジョルジュ・ランジュラン |
出演 | ジェフ・ゴールドブラム |
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ジーナ・デイヴィス | |
ジョン・ゲッツ | |
レス・カールソン | |
デイヴィッド・クローネンバーグ |