映画【ランニング・マン(2025)】感想(ネタバレ):近未来デスゲームの暴走社会を描く新生ランニング・マン

The Running Man
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●こんなお話

 家族のために死のゲームに挑む話

●感想

 近未来のアメリカでは、国家権力と巨大メディア企業が結託し、放送ネットワークを通じて国民を管理・統制する社会が成立している。貧困層は十分な医療や生活保障を受けられず、不満と不安を抱えたまま日々を生きているが、その鬱屈を発散させる装置として過激なリアリティ番組が量産されている。その中でも圧倒的な人気を誇るのが、生存を賭けた逃走ゲーム番組「ランニング・マン」。

 番組の参加者は「ランナー」と呼ばれ、都市全体を舞台に30日間逃げ切れば巨額の賞金を得られるが、その間、番組が雇ったプロの殺し屋「ハンター」や、懸賞金目当ての一般市民、監視ドローンに追われ続ける。逃走の様子はリアルタイムで放送され、視聴者は暴力を娯楽として消費していた。

 主人公ベン・リチャーズは労働者階級出身で、過去に組合活動へ関わったことから職を失い、社会から排除された存在となっている。重い病を抱える娘キャシーの治療費を工面できず、妻シーラと共に追い詰められた生活を送る中、最後の手段として「ランニング・マン」への参加を決意する。リチャーズは選考を経て番組に採用され、冷酷なプロデューサーであるダン・キリアン、扇動的な司会者ボビー・Tの管理下でゲームに放り込まれる。

 ゲーム開始後、リチャーズは都市の裏側を逃げ回りながら、武器や物資を奪い、地下ネットワークの協力者たちと接触していく。ラジオを使って情報を流す支援者、偽装書類を用意する者、密かに反体制思想を抱く労働者たちとの出会いを通じ、リチャーズは単なる逃亡者ではなく、抑圧された人々の象徴として認識され始める。

 一方、番組側は彼を危険なテロリストとして報道し、視聴率を維持するために演出を過激化させていく。ハンターとの戦闘は激しさを増し、リチャーズの行動は次第に番組の想定を超え、管理社会そのものの矛盾を白日の下にさらしていく。視聴者の間でも疑問と動揺が広がり、都市各地で抗議や暴動が発生する。

 終盤、リチャーズはキリアンから番組側に寝返り、新たなハンターとして生き延びる道を提示されるが、それを拒否する。ランナーたちと最後の対峙しつつ、宣伝でリチャーズはテロリストとして報道されるが、労働者たちの暴動は治まらず、キリアンは逃亡を図るがそこに現れたのは…。でおしまい。


 近未来的なガジェットや監視システムが登場する一方で、どこかアナログ寄りのアイテムなどもあり、その混在した世界観を眺めているだけでも楽しめました。特にハンターたちが流れ弾や周囲の被害を一切気にせず撃ち続ける姿は非常に不気味で、命が完全に娯楽として扱われている社会の歪さがよく伝わってきます。

 ただし上映時間が長めなこともあり、ランニング・マンに参加するまでの生活描写はやや冗長に感じました。逃走劇も協力者を得ながら各地を転々とするロードムービー的な構成ですが、緊張感が持続する場面と間延びする場面の差が大きく、集中力が途切れる印象は否めませんでした。

 終盤のキリアンとの対峙も、思想や言葉の応酬が中心となり、長台詞で展開するため、クライマックスとしてはやや眠気を誘う構成だったように思います。それでも、娯楽と暴力、管理社会と個人の尊厳を結びつけたテーマは一貫しており、エドガー・ライトらしい皮肉と冷笑を感じられる作品でした。娯楽性よりも世界観とテーマ性を重視する方には、印象に残る一本になると思います。

☆☆☆

鑑賞日:2026/02/01 イオンシネマ座間

監督エドガー・ライト 
脚本マイケル・バコール 
エドガー・ライト 
原作スティーヴン・キング 
出演グレン・パウエル 
ジョシュ・ブローリン 
コールマン・ドミンゴ 
ウィリアム・H・メイシー 
リー・ペイス 
マイケル・セラ 
エミリア・ジョーンズ 
ダニエル・エズラ 
ジェイミー・ローソン 
ショーン・ヘイズ 
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