映画【グラスホッパー】感想(ネタバレ):渋谷スクランブルから始まる群像劇、3人の男が辿る運命の交錯

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●こんなお話

 殺し屋とか闇社会の人たちが闇社会で殺し合いする話。

●感想

 物語は、渋谷のスクランブル交差点を俯瞰で捉える迫力あるカットから始まる。群衆のなかを縫うように進むカメラワークは、日常と非日常の境界線をにじませながら、物語の開幕に強い緊張感をもたらしていた。その中で、3人の主要キャラクターが紹介される。それぞれの名前がスタンプのように画面に押され、独自の世界観を予感させるが、物語は1日目、2日目とカウントされて進行していくという構成になっている。

 物語の軸を担うのは、生田斗真さんが演じる青年。彼は婚約者を亡くし、その復讐のために裏社会に潜り込んでいく。だが、その潜入はあまりにもスムーズで、闇の世界の描写としてはやや物足りなさが残る。彼の行動の裏には、別の目的を持った女殺し屋の存在があり、彼はその計画のために巻き込まれていただけだったという真相が、後になって明かされる構造となっている。

 しかし振り返ってみると、その女殺し屋が自らの目的を達成するために主人公を利用したという割には、そもそも彼がいなくても何ら問題なく作戦は成立していたようにも感じられ、生田さん演じる主人公の存在意義があまり見えてこなかった印象が残りました。せっかく物語の中心に立つ人物であるのなら、もっと彼自身の意思や行動に物語が左右される場面が見たかったです。

 浅野忠信さんが演じるのは、他人の目を見ると相手が死を選んでしまうという異能を持った男。その設定自体は魅力的ですが、劇中では霊と会話するという展開が主となり、その能力が物語にどう活かされているのか、もう一歩深堀りされていればさらに印象に残ったかもしれません。山田涼介さんの役柄も、友情を描こうとしていた相棒との関係性があまり丁寧に描かれておらず、彼の心情が観客に届きにくかったのではないかと感じました。特に相棒が命を落としたあと、そのことに対する心の動きがあまり表現されず、ドラマとしての厚みがやや欠けていたように思います。

 クライマックスにおいて、生田さんが意識を失ったままほとんど画面に登場しないという構成も、終盤の盛り上がりを損なっていたように感じました。主要キャラクター3人が、それぞれ物語にどう関わっているのかという関係性が最後まで強く絡み合ってこないため、群像劇としての面白さが薄れてしまっていた印象です。

 アクションシーンについても、数は多く登場するものの、その演出はどこか淡々としていて、見せ場としての興奮があまり感じられませんでした。アクションのカット割りや構成が均質に進みすぎてしまっていて、場面ごとの高揚感や緩急がもう少しあれば、より引き込まれたように思います。

 主人公が入社する“悪の組織”についても、恐ろしさや異様さといった印象はあまり伝わってこず、どこか緊張感に欠ける描写が続いていたように思います。主人公が任された任務も追跡のみで、明らかに向いていないと感じさせる彼がその役目を負っている時点で、組織側の狙いや合理性に説得力が乏しく、物語にリアリティが生まれにくかったです。

 終盤の種明かしも、映像で語るというよりは台詞での説明が中心となっていたため、観客の感情を引き込むにはやや一方通行な印象を受けました。また、対立組織の存在についても、十分に描かれず、全体として対立構造が曖昧になってしまっていたように感じました。

 細かな描写についても、婚約指輪をケーキに入れて焼いてしまう行動や、殺し屋が語る「バッタ」の話など、印象的なモチーフにはなっていたものの、それらが物語の中でどのように意味づけられていたのかはやや不明瞭でした。また、キッチンが燃えてしまった家で、初対面の人物にお茶を出し、子どもの家庭教師を頼むといった展開も、物語の世界観を感じ取る前に突っ込みどころのほうが勝ってしまう場面が散見されました。

 全体として、多くの設定やキャラクターが同時に動く構成になっていたことは理解できましたが、それぞれの要素がなかなか有機的に結びついていかない印象がありました。もう少し登場人物の関係性や動機に説得力を持たせてくれれば、より心に残る物語になったように思います。

☆☆

鑑賞日: 2015/11/16 TOHOシネマズ川崎

監督瀧本智行 
脚本青島武 
原作伊坂幸太郎 
出演生田斗真 
浅野忠信 
山田涼介 
麻生久美子 
波瑠 
菜々緒 
村上淳 
宇崎竜童 
吉岡秀隆 
石橋蓮司 

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