●こんなお話
ボクサーとジムの人たちの話。
●感想
ボクシングジムでの一日が、静かに始まる。トレーナーの指導を受けながら黙々と動く選手たちの間を、会長が穏やかな眼差しで見守っている。その日、主人公は試合を控えていた。ジムを出て会場へと向かい、緊張感の中でゴングが鳴る。決して派手ではないが、粘り強く戦い、なんとか勝利を収めた。リングの上で受けるインタビューも、どこか控えめで朴訥としていた。けれど、その小さな勝利が彼にとって大切な一歩だったことが、言葉の端々から伝わってくる。
試合後に家へ戻ると、弟とその恋人がリビングでくつろいでいた。何気ない会話が交わされ、母親も笑顔で息子を迎える。祝福の言葉に、照れながらも素直にうなずく主人公の姿に、家庭という場のぬくもりが感じられる。
ジムでは、日々のトレーニングが続いていた。トレーナーはそれぞれの選手に合わせて丁寧に指導し、会長はその様子を静かに見つめる。そんな中、会長が病院で検査を受けていたことがささやかれ、さらにジム閉鎖の噂が流れ始める。選手の中にはその話を聞いて退会を決める者もいたが、ジム自体はいつもと変わらず動き続けていた。主人公もまた、これまでと変わらぬ道を歩いてジムへと通っていた。
けれどやがて、その噂は現実となる。ジムの閉鎖が決まり、会長やトレーナーたちは選手たちの新しい居場所を探して奔走する。別のジムの整った設備や広々とした空間は魅力的に映るが、主人公は「家から遠すぎる」としてその誘いを断る。その言葉に、トレーナーたちは落胆し、時に苛立ちすら見せる。けれど、それは彼を想う気持ちの裏返しでもあるよう。
家庭でも母親から「いつまでボクシングを続けるのか」と心配されるようになり、主人公は悩みながらも自分の気持ちを整理していく。ついには会長に辞めたいという思いを綴った手紙を用意するが、それを渡すことができないまま、日々だけが過ぎていった。
そんなある日、会長が脳梗塞で倒れてしまう。突然の知らせに、トレーナーや選手たちは動揺する。けれど、彼らはそれでも試合に向けての準備を続けた。動揺の中でもトレーニングに励み、それぞれが自分のやるべきことを見つめ直していく。
試合の日、主人公はリングに立つ。会長は病室で、家族はそれぞれの場所で彼を見守る。懸命に戦う姿は多くの人の胸を打つが、結果は敗北だった。それでも、そこには何かが残るような余韻が漂っていました。
そして物語の終わり、主人公はいつものように川沿いを走っている。その姿に言葉はなく、ただ足音と風の音、遠くで響く街の気配があるだけだった。
本作は、耳の聞こえない主人公と彼を取り巻く人々の、静かで確かな日常を描いています。手話や表情、仕草のひとつひとつが豊かに語り、言葉のない世界に確かな温度をもたらしていたように思います。ボクシングの音が響く瞬間は、画面を通してこちらにも気持ちよさが伝わり、音の存在を改めて実感させてくれました。
物語は大きな盛り上がりを見せるわけではなく、淡々と過ぎていく日々の記録のような構成。それがかえってリアリティを帯び、静かに心に残る時間を与えてくれます。人によっては展開の少なさを感じるかもしれないですが、静けさの中に流れる感情に寄り添える人には、深く届く作品だったように感じる1作でした。
☆☆☆
鑑賞日:2023/06/07 Amazonプライム・ビデオ
監督 | 三宅唱 |
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脚本 | 三宅唱 |
酒井雅秋 | |
原案 | 小笠原恵子 |
出演 | 岸井ゆきの |
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三浦誠己 | |
松浦慎一郎 | |
佐藤緋美 | |
中原ナナ | |
足立智充 | |
清水優 | |
丈太郎 | |
安光隆太郎 | |
渡辺真起子 | |
中村優子 | |
中島ひろ子 | |
仙道敦子 | |
三浦友和 |