●こんなお話
格差社会の厳しさを描く話。
●感想
1989年、バブル景気と不動産価格の高騰が始まった台湾の台北郊外で、11歳の少年リャオジエは父リャオタイライと二人で暮らしている。父は台北市内のレストランで働き、亡き妻の願いだった理髪店をいつか開くため、倹約を重ねて地道に貯金を続けている。
しかし町では地価が日を追うごとに上昇し、物件の価格は庶民の手の届かない水準へと膨らんでいく。父子が慎ましく積み立ててきた金額は、値上がりの速度に追いつかず、理髪店開業という目標は現実味を失い始める。
ある日、リャオジエは自宅の大家であり、住民から「オールド・フォックス」と呼ばれる地主シャと出会う。シャは複数の物件を所有し、土地の値上がりによって資産を増やしている人物だ。彼は感情よりも利益を優先し、人間関係に縛られない生き方こそが成功の近道だと語る。
シャは少年に対し、貧しさから抜け出すためには他人を気にせず自分の利益を最大化することが重要だと教える。その言葉は、誠実で他人思いの父の価値観とは対極にあるもので戸惑うリャオジエ。
父リャオタイライは周囲の景気に浮かれることなく、堅実に働き続ける。家の設備に不具合があれば自分で直し、節約のために外のガス元栓をこまめに確認するなど、小さな出費を抑える努力を惜しまない。一方で、地主シャは家賃の回収や売買の交渉を淡々と進め、土地の上昇を利益へと変えていく。
リャオジエは二人の大人の背中を見比べながら、自分はどちらの生き方を選ぶべきか思い悩む。父と共に市場へ出かけ、質素ながらも温かな食卓を囲む時間と、シャが語る資本主義の論理。その落差は少年の胸に強く刻まれていく。
やがて株や不動産に投機する人々が急増し、周囲には一攫千金を夢見る空気が漂う。大きな利益を得た者が現れる一方で、相場の急落によってすべてを失う者も出てくる。リャオジエは、成功と失敗が紙一重である現実を目の当たりにする。
父は最後まで誠実な労働を続け、息子に対しても他者を思いやる心を忘れるなと語る。シャは感情を排し、合理性を重んじる姿勢を崩さない。リャオジエは二つの価値観の間で葛藤しながら、自分なりの答えを胸に抱く。
物語は、土地の高騰とともに揺れる社会の中で、少年が大人の世界を知っていく。そして成長したリャオジエは建築デザイナーとなってオールド・フォックスと呼ばれていておしまい。
1980年代末の台湾バブルという時代背景を、生活の細部から丁寧に映し出す作品でした。土地の価格が上がることが、遠いニュースではなく、日常のガスの元栓を閉める行為や家賃のやり取りといった具体的な生活の場面に直結している描写がとても印象的です。経済のうねりが、家の内と外を静かに分断していく構図が面白く感じられました。
父と周囲の女性との関係が物語の別軸になるのかと思いながら観ていましたが、恋愛へと大きく展開するわけではなく、あくまで少年とオールド・フォックスの価値観の対比が中心に据えられていました。そのため物語の行き先が読みづらく、人生の勝ち負けとは何かという問いが、静かに、しかし重く観客に投げかけられます。
株で成功した人物が一転して破綻する場面は胸に迫るものがありました。バブルの熱狂と崩落の両面を冷静に見せる構成はリアルですが、感情的にはかなり堪えます。
全体としてどこで明確なカタルシスを得るべきか掴みにくい部分もありましたが、その曖昧さこそが本作の狙いなのかもしれません。成功とは何か、豊かさとは何かという問いに対して、はっきりした答えを提示せず、観る側に委ねる姿勢が貫かれていました。
また、食卓に並ぶ料理の描写がとても魅力的で、湯気や香りまで伝わってくるような映像でした。慎ましいながらも温かい食事の時間が、物語の中で数少ない安心できる瞬間になっており、観ているこちらも思わずお腹が空いてきます。
派手な展開はありませんが、社会の変化と少年の内面の揺らぎを静かに重ねた一作でした。
☆☆
鑑賞日:2026/02/15 WOWOW
| 監督 | シャオ・ヤーチュエン |
|---|---|
| 脚本 | シャオ・ヤーチュエン |
| チャン・イーウェン | |
| プロデューサー | ホウ・シャオシェン |
| 出演 | バイ・ルンイン |
|---|---|
| リウ・グァンティン | |
| アキオ・チェン | |
| ユージェニー・リウ | |
| 門脇麦 |

