映画【ミッキー17】感想(ネタバレ):氷の惑星で問う「生と再生」

Mickey 17
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●こんなお話

 死んでは再生される“使い捨て”クローンとして植民地任務に就いた男が、自らの複製と制度の支配構造に抗い、“自分”と“生きる”を取り戻す旅に出るSFの話。

●感想

 2054年、人類は地球の資源枯渇と過剰人口を背景に、新たな移住先として氷の惑星ニフルヘイムを目指していた。借金を抱え、逃げ場を失った男ミッキー・バーンズは、過酷な任務を繰り返す「エクスペンダブル(使い捨て役員)」として、この植民計画に参加することになる。死ぬたびに記憶をバックアップし、再プリントされたクローン体として蘇る――そんな倫理の境界を越えた制度の中で、ミッキーは次々と危険な任務に送り出される。

 彼は旅の途中、セキュリティ・エージェントのナシャと出会い、少しずつ心を通わせていく。やがて到着したニフルヘイムでは、凍てつく環境の中に未知の生物「クリーパーズ」が生息していた。外見はミニチュアのバッファローのようだが、次第に知性や感情を持つ存在であることが判明する。探査中の事故でミッキー17が氷の裂け目に落下し、死亡と判断されたのち、彼のクローンであるミッキー18が再プリントされる。しかし、生還したミッキー17は生きており、同一人物が二人存在するという禁断の状態に陥る。記憶も感情も同じはずなのに、互いの思考や行動は微妙にずれていく。自分は誰なのか、どちらが「本物」なのか。存在の矛盾を抱えたまま、二人のミッキーは次第に対立していく。

 植民計画を主導する政治家ケネス・マーシャルとその妻イルファは、エクスペンダブルを単なる道具として扱い、人類の支配のために利用していた。

 クライマックスでは、ケネスがナシャを人質に取り、クリーパーズを抹殺するための爆弾としてミッキーを利用しようとする。しかし、ミッキーたちは翻訳機を介してクリーパーズと意思を通わせ、彼らが子どもを返すことで争いを止めようとしていることを知る。ケネスが混乱の中で神格化を狙う中、ミッキー18は自らの身体に仕組まれた爆弾を起動させ、破滅的な状況を止めようとする。その後は政治的争いがあったりしつつ、クローン技術のあり方や異種との共存の可能性が示されて物語はおしまい。

 この作品は、SF的なスケールの中に、アイデンティティと倫理の問題を織り込んだ寓話のような物語になっていたと思います。主人公ミッキーの少し間の抜けた人間味が、シリアスなテーマの中で心地よい軽さを生んでいました。何度死んでも淡々と再生されるという設定の不気味さとユーモアのバランスが見事で、笑っていいのか戸惑うようなブラックコメディ的な味わいが印象的でした。特にディナーシーンの演出は秀逸で、マーク・ラファロ演じる独裁的な指導者の滑稽さが絶妙に描かれてました。

 氷の惑星での異生物クリーパーズとの交流もユニークで、単なる怪物ではなく、感情をもつ存在として描かれることで、物語に深みが加わっていました。映像的にも、氷の反射光や生物の質感が繊細に表現されており、幻想的な雰囲気が作品全体を包んでいたように思います。どこか寓話的なタッチで、冷たい世界の中に微かな温もりを感じさせる構成でした。

 一方で、全体の上映時間はやや長く、130分という尺の中で同じテーマを繰り返す部分が少し多く感じられました。それにミッキー18のいきなり自己犠牲とかも唐突に感じられたりも。

 もう少しコンパクトにまとめても、作品の持つメッセージは十分に伝わったように思います。それでも、人間の複製というSF的な題材を通して、存在の意味や魂の所在を問う物語としては、非常に興味深い一作でした。ユーモアと哲学、政治風刺とロマンスが奇妙に共存した不思議な余韻を残す作品です。

☆☆☆☆

鑑賞日:2025/10/24 U-NEXT

監督ポン・ジュノ 
脚本ポン・ジュノ 
原作エドワード・アシュトン 
出演ロバート・パティンソン 
ナオミ・アッキー 
スティーブン・ユアン 
トニ・コレット 
マーク・ラファロ 
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