●こんなお話
福島第一原発事故を描いた話。
●感想
東日本大震災に端を発した原発事故を題材に、現場で奔走する職員、東京電力の幹部たち、そして政府関係者がそれぞれの立場で事態と向き合っていく様子を、淡々と、しかし丁寧に描いていくドラマ作品でした。
巨大な地震が起こり、原発を津波が襲い、電源が完全に失われる。その瞬間、現場では何が起こっているのか誰も把握できず、暗闇と静寂の中で緊急事態が静かに始まっていきます。非常用電源も作動せず、ステーションブラックアウトに陥った原発内では、機器の状態も確認できない中で、冷却が止まり、圧力がじわじわと上昇していきます。
官邸では、総理大臣をはじめとした政府関係者が「情報を早く出してほしい」と繰り返すものの、東電の担当者や保安院の返答は曖昧で、どこか歯切れの悪い言葉が続くだけ。刻一刻と変わる原発内部の状況に対して、現場の声と本社・政府の意向がすれ違っていく様子は、緊張感と焦燥感を伴いながら描かれていきます。
人力でSO弁やAO弁を開けるという極めて困難な作業に向かうベテラン職員たちの姿は、物語の中でも特に胸を打つ場面でした。高線量の現場へと向かうその背中には、使命感と責任、そして恐怖を乗り越えようとする静かな覚悟がありました。加えて、謎の白い煙が噴き出すシーン、海水を入れるかどうかの判断に揺れる本社、1号機や3号機の建屋が相次いで爆発する場面も、実際の記録をもとに再現されており、緊迫した空気が続いていきます。
格納容器の圧力が上がって水が入れられない状況が続く中、官邸と東電本社との間で「必要最小限の撤退」をめぐる意思疎通がうまくいかず、混乱を増していく描写も印象的でした。そんななか、建設会社の通称“キリン”からの協力や、消防車を動かすために駆けつけたベテラン職員、自衛隊による支援など、多くの人の知恵と努力が折り重なり、冷却作業が続けられていきます。
手探りの中で、できることをひとつずつ見つけ出していく現場の人たちの姿勢。その姿には、職務を超えた利他的な献身があり、見ている側の胸にも静かに熱いものが残ります。同時に、政府が繰り返し情報提供を求めてもはっきりとした言葉を返さない幹部たちの様子には、情報の共有とは何か、危機時の責任の所在とはどこにあるのか、改めて考えさせられました。
この作品は、映画『Fukushima 50』と同じ原作をもとにしているため、描かれている出来事や流れに重なる部分が多くあります。ただ、本作は8話にわたって展開していく形式のため、各シーンの描写に時間が取られており、より詳細な視点から事故の推移を追うことができます。中盤以降には東海村の事故の回想が挿入されたり、水浸しの現場でマンホールに落ちかけるような危機のシーンも盛り込まれ、ドキュメンタリータッチの中にドラマとしての演出も加えられていきます。
そして最終話。残り10分ほどで、これまでの原発の歴史や日本におけるエネルギー政策の歩み、さらにはアメリカからの支援と報道のあり方について語られるナレーションが急に挿入され、語りのトーンが一気に変わる印象を受けました。マスコミによる政権批判と、支援国との関係性への言及など、情報の整理と振り返りが一気に詰め込まれた終盤は、急展開のようにも感じられる場面でした。
また、本作では主人公の名前だけが実名で登場し、それ以外の企業名や人物名がすべて仮名になっていた点も印象に残りました。これは演出上の配慮なのかもしれませんが、どこか情報が混ざりにくくなるような感覚もあり、作品全体にわずかなノイズとして残る部分でもありました。
それでも、あの日、何が起きていたのか。現場では誰が、どのように動き、何を感じていたのか。その輪郭を改めてなぞる作品として、多くの人の記憶に残っていく力を持った8時間でした。
☆☆☆
鑑賞日:2023/06/05 NETFLIX
監督 | 西浦正記 |
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中田秀夫 | |
脚本 | 増本淳 |
出演 | 役所広司 |
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竹野内豊 | |
小日向文世 | |
小林薫 | |
音尾琢真 | |
光石研 | |
遠藤憲一 | |
石田ゆり子 |